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中国三大悪女①

中国四大美女 中国四大妖姫など、

四大〇〇というのをいくつか取り上げてきました。

一方、三大〇〇というのもありますが、

中国由来が四大〇〇で、日本由来が三大〇〇のようです。

たしかに、中国では現代でも四つの〇〇などが多い一方、

日本では世界三大美女、日本三大美人の湯など、

三つにまとめることが多いです。

 今回は、中国三大悪女に関するお話で、

日本とはレベルの違う話が出てきます。

三大悪女とは、漢の建国者、劉邦の奥さんである呂雉(ルゥジィ)、

唐の時代の皇后で中国史上唯一の女帝、武則天(ウゥザァティエン)、

清朝末期の西太后(シータイホウ)の3人です。

 

 今回は、呂雉のお話です。皇后となって以降は、

呂后(リュホウ)と呼ばれるので、

中国では、呂后と呼ばれることも多いです。

 

 呂雉は、紀元前241年、単父(現代の山東省荷澤市単県)

の有力者、呂公の娘として生まれ、劉邦に嫁ぎます。

時代は、始皇帝亡き後の混乱の時代、

小説でもおなじみの『項羽と劉邦』の楚漢戦争に移り、

その間、項羽に捕えられることを経験するなど、劉邦を支えます。

 そして、紀元前202年、劉邦は、項羽を滅ぼし、

皇帝となり漢を建国、呂雉は皇后となります。

と、ここまでは良かったのですが、劉邦が没すると、

漢建国の功臣を次々と失脚させ、処刑する一方、

呂一族を要職につけ、専横を始めます。

 

 劉邦と自分の息子、劉盈リュウイン)が

第二代皇帝(恵帝)に即位すると、

恵帝のライバルであった劉肥リュウフェイ)、

劉如意リュウルゥイ)の殺害を企てます。

恵帝によって劉肥の殺害は失敗するものの、

劉如意は殺害され、さらにその母親である

戚夫人(チーフーレン)は、奴隷の身分まで落とし、

劉邦の寵愛を受けていたことから、それでも嫉妬は収まらず、

両手両足を切り落とし、目玉をくり抜き、

薬で耳と声をつぶし、便所に置いて、

人豚と呼ばせ、それを見て、笑い転げたと史書にあります。

この時代、便所の糞尿を餌として、豚を飼っていたようです。

当時の漢字では、人彘(レンジー)と言うそうです。

かなり残虐ですが、まだ続きがあります。

 

 第二代皇帝の恵帝は、その様子を見て衝撃を受け、

政務を放棄し、酒に溺れ、ほどなく没します。

そして、第三代皇帝として、恵帝と後宮の女性との

間に生まれた前少帝を即位させますが、

前少帝の生母は殺害されます。前少帝は成長し、

この事実を知ると、呂雉を恨むようになりますが、

呂雉は逆に前少帝を廃位し殺害、第四代皇帝として、

後少帝を即位させます。

太后として、専横を続けた呂雉が、

紀元前180年に死去すると、功臣や劉一族により、

呂氏一族は皆殺しにされ、劉邦の四男である劉恒リュウハン)が、

第五代皇帝(文帝)として即位し、ようやく安定した時代となりました。

 日本の歴史には登場しないような悪女ぶりですが、

後の時代にも影響したのか似たような話が歴史上登場します。