中国の長い歴史で、常に主役となるのが
皇帝(ホワンディ)です。
この皇帝の称号を最初に名乗ったのが始皇帝です。
意外と知られていないのが、この皇帝の称号の由来や、
始皇帝の名前です。
中国の歴史で、歴代の王朝を、学校でも習いますが、
たいていは、殷、周、秦、漢、隋、唐、宋、元、
明、清です。
しかし、殷の前にも王朝があったとされていて、
夏と言います。この夏から前の時代は、
歴史書に記載はあるものの、神話や伝説が多く、
さらに歴史書によっても記述内容に相違が見られます。
この中国の歴史における神話・伝説の時代に
登場するのが三皇五帝(3人の皇と5人の帝)です。
3人の皇、5人の帝は誰を指すのかは諸説あります。
この皇と帝を合わせて称号としたのが皇帝です。
皇帝が登場する前は、各地に王が居て、
その覇権を競っている状態でしたが、
始皇帝が中華を初めて統一して皇帝と名乗って以降、
中国の統一王朝の称号として皇帝が使われることになりました。
さて、日本では始皇帝は有名なものの、
その名前は意外と知られていません。
嬴政(インジェン)と言います。
中国語では、中国の歴史上の国名に、
朝を付けて、秦朝(チンチャオ)や、
明朝(ミンチャオ)などと言います。
朝は、朝廷のことです。日本では、
明や清と1文字で呼びますが、
中国では、王朝という意味で、
~朝ということが違いです。
さて、現代の中国は、正式名称ではないですが、
ネットや通称では、天朝(テンチャオ)と呼ばれています。
中国の正式な統一王朝、或いは天安門朝廷が語源だそうです。
近代になってから、国名が中国、場所の名前も中国なので、
わかりにくいですが、近代までは、国名を明や清と呼び、
場所の名前を支那(近代以降、蔑称となる)と呼んでいました。
特に、中国が群雄割拠の時代や、
統一王朝がなく、複数の国がある場合は、
こういった区別が必要だったようです。
ちなみに、台湾では、中国のことを大陸(ダァルゥ)と呼んでいます。