中国は、人口が多い、歴史が長いということで、
歴史上に多くの美女が登場します。
中でも、中国古代四大美女が最も有名です。
その美貌により、王や武将たちに大きな影響を与え、
歴史をも動かしてしまったと言ってもよい存在です。
今回は、そんな美女のお話です。この美女四人を形容して、
沈魚落雁,閉月羞花(チェンユゥロウヤン、ビーユエシュウハァ)
と言います。
1.西施(せいし、シーシー)
(紀元前5世紀、春秋時代)
越(王、句践)の軍師、范蠡から、呉の王、夫差に献上され、
寵愛を受けた。夫差は、西施を喜ばせるため、散財し、
政治を顧みず、呉の国は弱体化し、ついに越に滅ぼされた。
諸説あるが、呉が滅んだ後、句践の夫人が西施の美貌を恐れ、
夫も二の舞にならないように、西施を生きたまま皮袋に入れられ、
長江に投げられたという。その後、長江で、
蛤がよく採れるようになったため、蛤のことを、
西施舌(シーシーシャ)とも呼ぶ。
【ことわざ、成語】
・西施の顰(ひそみ)に倣(なら)う。
西施は、胸の病があり、しばしば胸を抱えて、眉をしかめた。
この仕草があまりにも美しく、村の他の女性たちが
まねしてみたという故事に由来している。
中国語では同じ意味でいくつか表現がある:
西施捧心(せいしほうしん、シーシーパンシン)、
東施效顰(ドンシーシャオピン)。
・情人眼里出西施(チンレンイェンリーチュシーシー):
惚れた人の目には西施に見える。
紀元前の美女が、ことわざとして、現代も残っているというのがスゴイですね。
【沈魚美人】
西施が川で足を出して洗濯をする姿に、
魚たちは泳ぐのを忘れてしまったという逸話から、
沈魚美人(チェンユゥメイレン)と言われる。
2.王昭君(おうしょうくん、ワンジャオジュン)
(紀元前1世紀頃、前漢時代)
北方の騎馬民族、匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)が、
漢の女性を妻にしたいと、元帝に依頼したところ、
漢は、懐柔政策のため、後宮の女性の中から選び、王昭君を嫁がせた。
【落雁美人(ロウヤンメイレン)】
旅の途中、故郷の方向へ飛んでいく雁を見ながら
望郷の思いをこめて琵琶をかき鳴らしたところ、
彼女の姿と悲しいしらべに魅入られて雁が次々に落ちてきたと言われる。
3.貂蝉:(ちょうぜん、デャオチェン):
(三国時代、三国志演義に登場する架空の女性)
幼少時に市で売られていた孤児で、後漢の役人王允の養女となり
実の娘のように育てられた。王允の策略により、
【閉月美人(ビーユエメイレン)】
天下を憂いて物思いにふける姿のあまりの美しさに、
月が恥じて雲に隠れてしまったと言われる。
4.楊貴妃(ようきひ、ヤングイフェイ)
(719年-756年、唐の玄宗の時代)
日本でも有名な楊貴妃。しかし、楊貴妃というのは、
名前ではなく、苗字+身分。奥さんの序列による呼称は
時代によっても異なるが、楊貴妃の時代は、
1番目の奥さんは皇后、2番目の奥さんは貴妃。
本名は、楊玉環(ヤンユゥファン)。
楊貴妃は、17歳の時、寿王と結婚するものの、
寿王の父親である玄宗皇帝に気に入られ、
息子から取り上げる形で、結婚することになる。
唐の第6代皇帝、玄宗は開元の治と呼ばれる
国家の安定と文化の最盛期をもたらしたが、
楊貴妃と結婚した後は、楊貴妃を溺愛し、政治を顧みなくなった。
【羞花美人(シュウホォワメイレン】
楊貴妃が、後宮を散歩すると庭の花が妃の美貌と
体から発する芳香に気圧されてしぼんでしまったと言われる。
四大美女、いかがでしょうか?三十六計にある美人計(メイレンジー)、
現代風に言えばハニートラップでもあり、
国家間の同盟という役割もあり、いずれも歴史を動かしたと言えます。
中国語で、美女を表す表現として、
傾城傾城(けいせいけいこく、チンチェンチングォ)
という成語があります。