中国三大悪女の2人目は、武則天(ウゥザァティエン)です。
日本では則天武后と呼ばれることが多いですね。
中国読みでは、則天武后(ザァティウゥホォ)です。
長い中国の歴史の中で、唯一の女帝です。
日本の女性天皇が8人(10代)も居たことに比べると、
いかに特別な存在かがわかります。
武則天の本名は、武照(ウゥジャオ)で、
皇帝の名前は、死後に送られた称号が則天、
そして、武という皇后という意味で、
武照は、唐の初期に、今の四川省で生まれ、
14歳で、二代皇帝(太宗、李世民)の後宮(ホォゴン)に入ります。
しかし、「唐三代の後、女王武、唐を滅ぼす」という
流言が広がったことから、太宗は、武照を遠ざけます。
太宗からの処刑を恐れた武照は、李世民の子である李治
(後の第三代皇帝、高宗)に近づき、
李治(リィチー)は、武照にぞっこんとなります。
皇帝が崩御すると、皇帝の妻たちは出家するのが習わしでしたが、
武照は太宗崩御後に、正式に尼にはならず、
道教(ダオジャオ)の寺院である道観(ダオグゥァン)で
道士(ダオシー)となりました。
李治が第三代皇帝となりますが、
王皇后と皇帝の寵愛する蕭淑妃(シャオシュウフェイ)の間で対立が起きます。
王皇后は、蕭淑妃から皇帝の気をそらすため、
結果、蕭淑妃は皇帝から寵愛されなくなるものの、
武照が寵愛され、王皇后も疎んぜられることとなりました。
高宗は、王皇后を廃位し、武照を皇后にすることを
重臣たちに下問するもののなかなか同意が得られない状況にありました。
当時、皇帝の娘を出産し、子供のいない王皇后は、
その娘を可愛がっていました。ところが、ある日、
その娘が急死し、その場に王皇后しかいなかったことから、
宮中では殺害の疑いがかけられ、高宗は、
王皇后と蕭淑妃を庶民の身分に落として投獄し、
武照は皇后の地位につきます。
皇后となった武照は、投獄されていた王皇后と蕭淑妃を
百叩きの刑に処した後、さらに、四肢を切断し(人彘:レンジー)、
酒壺に投げ込みました。二人は、数日間泣き叫んだ後、絶命したとのこと。
ところが一説によると、武照の娘は、皇后を陥れるため、
武照自身が殺害したとも言われています。
皇后となった武照は、高宗に代わり、垂簾聴政(垂帘听政:
チュイリェンティェンジェン)を行いました。高宗が崩御すると、
第四代皇帝として中宗(ジョンゾン)が即位しますが、
武照と対立したため、即位後わずか55日で廃位され、
第五代皇帝、睿宗(ルイゾン)が即位しましたが、
武照が自ら皇帝に即位すると、廃位されました。
皇帝に即位後、国号を唐から周に改め、
自ら聖神皇帝と称し、歴史上唯一の女帝となったのでした。
范冰冰(ファンビンビン)主役の中国ドラマで、
武則天が放映され、時代劇としては最高視聴率となったそうです。
日本ではBS11で放映されたほか、UNEXTでも見ることができます→https://kandera.jp/sp/busokuten/
ドラマは全82話もあって時間がないという方は、
日本ではマンガもありますので、
こちらがおススメです(『武則天』倉科遼・みね武作、全9巻)。
こちらのサイトでは無料で見ることができます
→https://mangalove.me/comic/143