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中国神話2

古代中国の伝説として、三皇五帝と1セットされることが多いですが、

三皇五帝には明確な区別があり、三皇は姿形や行いから神であるのに対し、

五帝は伝説の域ではあるものの、人間としての描かれ方です。

このため、司馬遷が執筆した当時の『史記』では、

史実に忠実さを求めた結果、五帝からの記載となっています。

 

五帝  ~神から天子へ~

五帝というものの、書物によって、誰を五帝に選ぶかは、

諸説ありますが、ここでは、知名度やエピソードから五人を選びました。

古代中国では、天に意志があり、国を治める君主のことを天子と言い、

後に皇帝という称号が定着するまでは、天子がよく使われていました。

 

黄帝(ホァンディ、こうてい):

 三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝。

 後の四人の帝やその後の夏、殷、周の王朝の祖先とされることから、

現代の漢民族は、炎帝黄帝の子孫ということで、

炎黄子孫(エンホァンズゥスン)と呼ぶ表現もあります。

医者であり、現存する中国最古の医学書は、

黄帝の著作とされ、漢方医学の祖とされています。

 ちなみに、栄養ドリンクの「ユンケル」の「ユンケル黄帝液」の

黄帝の由来となっています。また「ユンケルファンティ」の

「ファンティ」は、黄帝の中国語発音(ファンディ)が由来です。

 天と地を祭る封禅という祭祀を行ったとされます。

この封禅は、秦の始皇帝など、後の時代の

中華皇帝が行う儀式のひとつとなっていきます。

 

顓頊(ジュェンシュウ、せんぎょく):

黄帝の孫とされ、後を継いで、帝位についた。

鬼神を信奉しており、物忌みして

祭祀を執り行った帝として記されています。

顓頊は、人々が神と関わる事を厭い、

重(ちょう)という神に命令して天を上に押し上げ、

黎(れい)という神に命じて地面を下げさせ、

天と地を現在あるような遠く離れたものにし、

神と人との別を設けさせたとのこと。

 

(ギョウ):

史記』では、「その仁は天のごとく、その知は神のごとく」とされ、

儒教では最も理想的な天子とされています。

羲氏の羲仲と羲叔、和氏の和仲と和叔に命じ、

天文を観察して暦を作らせ、

一年を366日とし、3年に1度閏月をおいたとされます。

は、息子がいたが、臣下から次の帝を推挙させたところ、

皆がを推挙したため、自分の2人の娘をに嫁がせ、

官吏を3年間勤めさせたところ、功績が優れていたため、

に天子の座を譲りました。

このように、天子の座を譲ることを禅譲といい、

後の時代で皇帝の座を譲ることに使われるようになります。

 

(シュン):

と並んで、儒教では理想的な君主とされ、

合わせて、堯舜(ギョウシュン)、

その治世を堯舜の治、または堯舜時代といいます。

から禅譲されたは、善政を行い、

さらに、洪水を治めるために、を登用し、

治水工事を行い成果を上げたとされます。

39年間在位し、禅譲したとのこと。

 

(ユゥ、ウ):

から禅譲されたは、夏王朝を創始したとされます。

古代中国の歴史は、殷から始まるとされているが、

伝説によると殷の前にがあるとされています。

は、治水工事で成果を上げたため、

治水工事の神と崇められることも多いです。

古代中国において、大きな河川を有するがために、

治水ができることが為政者に求められた

ことがうかがえるエピソードですね。

ちなみに、『西遊記』で、孫悟空が持っている如意棒は、

が、河川を図る時に用いたものとされています。

は、即位後、各種の税を免除し、様々な下線を整備し、

農業政策を進める一方、自らは倹約し、

宮殿の増築は先送りしたとのこと・

の死後、子の啓が帝位に就き、

これが中国史上最初の帝位の世襲とされます。