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中国史の縮図、諺の宝庫、『呉越燃ゆ』

中国の戦国時代は、春秋時代と戦国時代とに分けられ、

まとめて春秋戦後時代と言います。
それぞれの時代名は、孔子の『春秋』と

劉向の『戦国策』に由来します。

小国が乱立している春秋時代から、

戦国七雄と呼ばれる七つの国が覇権を争い、

秦によって統一されるまでが戦国時代です。

この時代は、現在まで残る様々な諺や思想が生まれた時代です。

今回は、そんな中、春秋時代の後半、

呉(ウゥ)と越(ユエ)の抗争に由来する諺です。

ちなみに、三国志の呉と、春秋時代の呉は、別の国です。

 

呉越同舟
呉の簡体字は、吴(ウゥ)なので、中国語では、

吴越同舟(ウゥユエトンジョウ)となります。

孫子』の中で、呉と越の人は、互いに敵対しているが、

同じ舟に乗って、風で転覆しそうになれば互いに連携し、

助け合うという一節に由来しています。

孫子の兵法で有名な孫武は、この呉越が争っている時代の戦略家です。

今回は、日本漢字(日本語よみ、中国語読み)の順で記載しています。

 

◎登場人物
(そ、チュウ):
 王:平王(へいおう、ピンワン)
 家臣:費無忌(ひむき、フェイウゥジィ)・・・奸臣。

 王:闔閭(こうりょ、ハァルゥ)

 ・・・伍子胥孫武を登用し、春秋五覇までになる。
 夫差(ふさ、フチャ)=父である闔閭の雪辱を果たすが、後に越に敗れる。
 家臣:伍子胥(ごししょ、ウゥジゥシュ)・・・楚の出身。賢臣。
 孫武(そんぶ、ソンウゥ)・・・軍師。斉の出身。

 王:勾践(こうせん、ゴウジェン)
 家臣:范蠡(はんれい、ファンリィ)・・・軍師
 美女:西施(せいし、シーシー)

 ・・・・・范蠡に見いだされ、呉に送り込まれる。

 

呉越戦争の経緯
①楚において、費無忌の策により、平王に父兄を殺された伍子胥が呉に亡命。

 

②呉(闔閭王)が、伍子胥孫武により国力を高め、楚を滅ぼす。
 →この時、平王は既に死去していたことから、

 伍子胥は、平王の墓を暴き、平王の遺体を鞭で300回打ち、

 積年の恨みを晴らした。
 →死者に鞭打つ

 

③呉(闔閭王)は越との戦いに敗れ、息子の夫差に復讐を誓わせる。
 3年の間、夫差は薪の上に寝て、父の仇を忘れないようにした。
 →臥薪

 

④越(勾践王)が呉に攻め込むが、呉に敗れ、会稽山に逃げ込む。
 この会稽山で、降伏した勾践は、夫差の奴隷となり、

 妻を妾として差し出すという屈辱を受ける。
 →会稽(かいけい)の恥

 

⑤勾践は、呉に恭順にしつつ、苦い肝を舐め、会稽の恥を忘れないようにした。
 →嘗胆
 この③と⑤を合わせて、

 臥薪嘗胆(がしんしょうたん、ウォシンチャンダン)という。

 

⑥勾践は、夫差の目を欺き、帰国し、范蠡を用いて、国力を回復させつつ、

 呉の夫差に絶世の美女、西施を献上。夫差は西施を溺愛し、

 政治を顧みなくなる。

 

呉王夫差に、越を警戒するように諫言した伍子胥が、夫差により処刑される。

 

⑧越(句践)が呉(夫差)を滅ぼす。

 

范蠡は、役割を果たしたとして、越を去る。

 この時の言葉が、「狡兎死して走狗烹らる」 

 狡兔死,走狗烹(ジャオトゥスゥ、ゾウゴウパン)。

 そして、斉に移り、商売で巨万の富を築いたという。→陶朱猗頓の富

 

駆け足で呉越戦争と故事成語を紹介しました。

コミックや小説でも呉越の物語は多数ありますので、一読してみてください。

 

参考文献:
史記 呉越燃ゆ』上中下 久松文雄 (画), 久保田千太郎 (作)
范蠡 越王句践の名参謀』立石優著